「神の国の市民権」 07.02.04
使徒言行録22:22〜23:11
「わたしたちの本国は天にあります。」(フィリピ3:20)。
このことを知る私たちは、死の際にも、普段の生活においても、
恐れず歩みを進めていけます。様々な出来事に出会いながらも、
最後には、神の国の市民権を与えられているものとして、復活して
神の国の永遠の命を与えられる(23:6)と知っているからです。
死やこの世の混乱に飲み込まれてしまうのではないことを知って
いるからです。
パウロは、とても厳しい状況にありました。町に混乱を引き起こした
容疑者として、ローマの軍に捕らえられ、調べを受けていました。
その調べの場所には、パウロを有罪にしたいユダヤ人の指導者たちが
集められています。とても心配される、危険な状況におかれています。
しかし、聖書に描かれるパウロの姿はとても堂々としたものです。
大祭司に対して皮肉を言う姿には、余裕さえ感じます。
彼が落ち着いていられたのには、いくつかの理由がありました。
第一に、彼がローマ帝国の市民権を持っていたことです。ローマ市民
として保護を受けますので、無謀なことをされる心配はありませんでした。
第二に、ユダヤの指導者たちの考えに通じていたことです。自分を
非難する相手のことを知っていましたので、些かでも対応の術をもって
いました。そんな、人間的な立場や、対応する知恵を持っていたことは、
安心の原因となったでしょう。自分を有利にする立場、権利、身分。
事柄に上手く対応できる知恵、経験、能力。多くの人は、それらを
熱心に求めているのではないでしょうか。
しかし、それは、パウロにとって一番の力の源ではありませんでした。
パウロの力の源は、神の国の市民権を与えられているという
ことでした。
そこに、目の前の困難や、死によっても取り去られることのない、
力の源がありました。
このことに、力を与えられ、励まされ、勇気づけられました。
そこから、落ち着いた、健やかな姿が生まれます。
私たちも、その市民権を与えられている幸いの中で、生きています。